電気電子情報通信工学科



  • 沿革
  •  電気関連分野の拡大・発展と,それに伴い社会の変化や要請に柔軟に対応してきました.
  •    1885年 英吉利法律学校(現在の中央大学)創設
  •    1905年 中央大学に改称
  •    1944年 工業専門学校を新設
  •    1949年 工業専門学校を廃し工学部を新設,電気工学科設立
  •    1955年 大学院修士課程(博士課程前期)を設置
  •    1962年 工学部を理工学部へ拡充
  •    1964年 大学院博士課程後期を設置
  •    1989年 電気・電子工学科に改称
  •    2000年 電気電子情報通信工学科に改称
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  •  電気・電子工学科は,1949年に 4学科からなる中央大学工学部が設置された時,電気工学科の名称で発足しました. 翌1950年には工学部二部の設置が認可され,以来,昼間部と夜間部の教育を並行して行ってきました. 1962年に学部名称が理工学部に改称され,1989年に学科名称が電気・電子工学科に改称され,更に2000年に電気電子情報通信工学科に名称が変更になり,今日に至っています.
  •  工学部発足時の中央大学の本部は神田駿河台にあり,工学部の授業は文系各学部の授業とともに駿河台キャンパスで行われていましたが, 1951年9月に学生実験室,研究室および事務室の一部が文京区元町二丁目(現在は本郷一丁目)の水道橋キャンパスに移転し, 1953年4月に講義室,学部事務室,一部の研究室が文京区小石川一丁目(現在は後楽一丁目)の後楽園キャンパスに移転し,工学部の教育・研究環境はそれまでに比べて大幅に改善されました.
  •  1962年には,工学部に理学系学科を増設して理工学部とする計画が実現し, 1963年,文京区小石川二丁目(現在の春日一丁目)の運動場用地に現在の1~3号館からなる理工学部キャンパスを建設して工学部関係全施設を水道橋キャンパスおよび後楽園キャンパスから移転しました. 1983年に教育・研究施設の改善のために後楽園キャンパスに5~7号館を増設して今日に至っています.
  •  水道橋キャンパスの敷地建物は同和工業株式会社から譲り受けたもので,もともとは外堀通りに面した昭和第一商業学校のキャンパスの別館であり,敷地880 m2,元町側から見て地上5階,地下一階の小さなビルで, 学生実験室は当時の学生定員をようやく収容できる程度の広さしかなく,教員の研究および学生の卒業研究のかなりの部分は学生実験室を利用して行っていました.
  •  小石川一丁目の後楽園キャンパスは水道橋駅西口から徒歩10分程度の外堀通りに面し,住宅金融公庫に隣接した交通至便の場所にあり,第二次世界大戦中の日本発送電株式会社(現在の9電力会社の前身)の本部跡を買収したもので, 木造2階建て教室棟2棟,食堂棟1棟,他1棟からなり,ここで10年間にわたって工学部及び文学部の講義が行われました. 教室棟は廊下も階段も木造であり,授業中に廊下を歩く者がいると床のきしみ音が教室に響いてくる状況でありましたが,当時の学生たちは不満も言わず,熱心に勉強してくれました。
  •  現在の後楽園キャンパスの敷地は旧砲兵工廠跡地を中央大学が買収したもので,1963年以来,ここで今日まで継続して理工学部の教育・研究の充実・改善が図られてきています.
  •  1948年7月,元多賀工専助教授の吉久信幸氏が中央工業専門学校専任講師に就任し,直ちに文部省に提出する工学部設置申請書の作成作業に参加し, 少し遅れて参加した明星電気株式会社監査役の原田保之助氏とともに申請書の電気工学科の部分の作成を担当しました. 同年秋,文部省の視察の通知を受け,実験設備・実験機器の整備が大急ぎで行われました. 当時,学務課長であった海野徳蔵氏が本学部の理解を求めてかなり多額の機材購入資金を用意してくれました. 電気工学科に関しては吉久信幸氏が中心となって,当時,中央工業専門学校の学生であった鈴久昭太郎氏とともに実験用機器・材料の購入に東奔西走しました.
  •  1949年の電気工学科の創設時の専任教員は
         広瀬 敬一 教授(電気機器,電気製図,実験第二・第三 担当),
         原田 保之助 教授(電気測定法,実験第一 担当),
         吉久 信幸 教授(電気磁気学,回路理論,実験第二・第三 担当),
         福沢 寛 教授(電子管工学,電子管回路,実験第二・第三 担当),
    と川戸 勇 実験助手(主として実験第一 担当)でありました. 非常勤講師は鳳 誠三郎 東大教授と沢井 善三郎 東大 教授でありました. これらの諸先輩は,創設後の年次進行にともなう講義担当者の人選,非常勤講師の委嘱,学生実験のテーマ決定と実験設備・機器の整備等にも大変な努力を重ねられたものと推察されます.
  •  新設学科の完成年度である1952年度には,カリキュラムの全科目が開講されるので,それに向けて新任教員の採用及び兼任講師の委嘱が行われました. 1952年度の就任の専任教員は
         大類 浩 専任講師(電気回路理論,他 担当),
         梅原 忠利 専任講師(高周波工学,他 担当),
         山下 美雄 専任講師(電子管工学,他 担当),
         東条 喜一 専任講師(電気機器,特許法 担当),
    と鈴木 昭太郎(電子実験担当),安藤 敏雄(基礎実験担当),有馬 純照(基礎実験担当)の各実験助手であり,兼任講師としては上田 大助 早大教授(翌年,中大教授に就任,電気鉄道他 担当)ら数人が委嘱されました.
  •  1953年には,山口 高文 実験助手(電力実験担当)が就任して,学生実験体制が一応整いました. ただし,新設学科の場合には,実験用機器に過去からの蓄積がなく,すべてゼロからの出発であるので,新設時の文部省の審査を通ったとはいえ具体的な実験テーマが定まってみると不足の器材が多かったようです. 一部の実験には,国から払い下げを受けた旧軍部の通信機器等を活用していましたし,昭和30年代になってもいくつもの手作り実験セットが使われていました. 手作りの実験セットの中には学生が部品を集めて後輩のために組み立ててくれたものもありました. なお,工学部創立後しばらくの間は,実験助手の任用の発令が遅れることがしばしばありましたので,上記の各実験助手が実際手伝い等を始めた時期はもう少し早かったかもしれません.
  •  それ以降も教員の増員が図られてきましたが,完成年度以降,かなり長い年月にわたり,以上の諸教員が電気工学科および電気・電子工学科の中核として,学科の運営・発展に尽力・貢献されたことに敬意を表します.
     

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